飴色の釉薬が美しく光る器に魅せられ、初めて頂いた作品はイッチンといって、スポイトにドロドロにした土や釉薬を入れて描く技法を施したカップ。イッチンの唐草模様がエキゾチックで軽やかな独特の雰囲気。
近藤文さんとの出会いは笠間の陶炎祭でした
近藤さんは大学卒業後、3年公務員を経験された退職後、一人旅をしたアジアで、同じく一人旅の大工に出逢い手に職を持つ生き方に感銘を受けたのが1995年25歳。自分の手で何かを生み出す仕事として陶芸を選び、帰国後から益子に移り住み修業を始めました。その後2001年、笠間市に築窯。近藤さんの代表的なモチーフである唐草模様は、色々な縁を絡み繋ぐ永遠の意味をもち、世界中どの土地でも伝統的な柄として様々な工芸品に登場します。唐草模様を描くとき、そんな一人旅からの縁や流れを現在に重ねているのでしょうか。
近藤さんが主に用いる飴色の釉薬は笠間の伝統的な色。独自調合で作り出す色は独特の存在感。深い艶とたおやかな女性らしさも併せ持ちます。『表現も成長します』と自ら仰る通り、織部の釉薬を用いて飴色に差し色を施したパッチワークの器など、その年ごとに違う顔を見せてくれます。飴一色の作品にとても惹かれます。特に野菜を載せた時に色映えし美味しそうに見えるのは土の成分の釉薬だからでしょうか。
近藤文さんのアトリエにお伺いしました
笠間はなだらかな丘に囲まれ四季折々、低い山並みが落葉樹で彩られます。そんな丘の上に近藤さんの工房はあります。ご案内頂くと、まず工房の入口には大きな窯。1回に焼きあがる作品はせいぜい150個。でもその中には歪み縮みが生じ発表出来ないものも。窯入れの数は完成数とイコールではないそうです。窯入れまで幾つもの工程と時間があり焼成の間祈るように完成を待つ。窯の扉を開けて作品を確認する時の安堵と溜息。私達が作品と対面し、一期一会を果たすまで、近藤さんの手から始まる土と近藤さんの物語がありました。『トンボ』という名の、器の高さと水平を決める手づくりの道具が沢山並ぶ明るい窓辺でロクロをひく姿は、先程までお手製のマグに珈琲を淹れて話した表情とは一変。手を濡らし回転する土を包み込んだかと思うと瞬く間に碗の形となり、沢山並んだトンボの中から碗専用のものでカタチを整え、『こて』と呼ばれる丸棒で回る器の底をひと押しこの作業は器の底を締める役目があり、その後細い紐で底を切り離す。次の為に手を濡らし、延々と回る土と近藤さんの手とのやり取りが続く。次から次へと土は器のカタチになっていきます。
背の高い棚に差しこまれた沢山の陶板の上には出来たばかりの土色、白く堅く乾燥した素焼き待ち、本焼きを終了し作品として完成し艶めいたものが各段階で並んでいました。棚には震災時に割れた作品があり、少しづつ金継ぎを施し修繕しているそう。
ご自身の飴色の様に優しい笑顔の近藤さんは、妻であり男の子の母でもある。飴の色や唐草も、近藤さんの作品やこれからの時間の中で色濃く絡みながら更なる側面を見せてくれそうです。(くろさわ みゆき)
<作家プロフィール>
1995年 栃木県益子町にて修行
製陶所に勤務
栗原 節夫氏のもとで修行を重ねる
2001年4月 現在地、茨城県笠間市に築窯
>ホームページ http://www3.plala.or.jp/bungama/aya/jin_teng_wen.html
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(登録第5290824号)