[わたしの歳時記] 記事数:23
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山上憶良が万葉集のこの歌を詠んで以来、これらの草花が一般的に「秋の七草」とされました。
春の七草は、無病息災を願っていただく七草粥として有名ですが、秋の七草にはそれを使って何かをするというものではなく、秋の訪れを知らせる美しい花々として鑑賞されてきました。
実は栃木に来るまでは、それほど花に興味もなく、花を家に飾ることなどもなく、公園などで咲く花を見て綺麗だなと思うくらいでした(一般的に食べられる山菜、野草はわりと頭にインプットされるのですが)。ところが、こちらに移り住んでから公園や山道などではなく、普段通る道端にこんなにも様々な草花が咲いているということに気付き、それは私にとって小さな感動でした。そしてまだよちよち歩きの我が子との散歩が日課になっていたころ、その散歩道に咲く花々をふたりでよく眺めたり、摘んで持ち帰り、小さな一輪挿しに飾るような習慣がついてから、この道端に咲く草花たちのさりげない美しさ、かわいらしさに魅かれ、それぞれがなんという名前なのかと調べるようにもなりました。そこで、今まで「名前は知っているけど、どんな花か知らない」というような草花の姿と名前が一致し、“知っているようで知らなかった身近なこと”が自分の頭の中できちんと整理されて、ささやかだけどそれが暮らしの中で生きてくることに嬉しさを覚えたものです。そこらじゅうに葉を巡らせている葛の葉は大きくて形もかわいいので子供のおにぎりやおまんじゅうを作った時などお皿の上に敷くとまた目先が変わって喜び、ススキは散歩の途中のいいおもちゃになります。
そんな風に草花に興味を持ち始めたころ、野草研究をしている方の講演を聞く機会があり、「ススキやクズやヨモギやら身近な野草もいろいろミックスすると美味しくて、からだによいお茶になる」というようなお話があり、どうせ苦かったり飲みにくいんじゃないかと思いながらも試飲してみると、意外にも美味しくいただけたので、早速摘んできて、干して、炒って自宅にあるほうじ茶とともに煎じて飲んでみました。少しばかりクセがあるけれど香ばしく味がまとまったのに驚きつつ、手作りの楽しさも味わえるものでした。改めて昔の人たちはこうやって身近なもので作ったり工夫したり試しながら、必要なものを自分の手で作り出していったのだろうとしみじみ感じたのです。
さて、ここのところは仕事やら何やらの落ち着かない日々を過ごし、ゆっくり散歩する時間もなかなか取れないのですが、それでも子供と外を歩くときは小さなものにも気づいたり足を止めたりするもので、「早く行きたいのに~」と思いながらも、稲穂が垂れているのを見ては「この中にお米が入ってるんだよ」とか、雨上りの道路の水溜りに「お空が映ってるよ」とか、こちらも子供の目線になって一緒になって、小さな発見や身近にある自然を楽しんでいます。こうやっていちいち何でもないことに喜んだり、季節の移り変わりを感じたりする心の余白を持っていたいものだな、と最近つくづく思います。
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