しばらくのあいだ、何を書けばいいのか、本当に思いつかなかった。
考えていることは日々たくさんあっても、それを書きたくない、
と感じることがある。
書ける事柄があっても、それを消化試合みたいな感覚で書きたくはない。
かと言って、書くぞ!みたいな作家のホテルに缶詰めみたいな感じなんてもっと嫌だと思う。
こういうときはじっと待つしかないのだ、と勝手に思いながら、今も書いている。
実はすこし前の日に記事はアップしたのだけれど、どうもそれが自分にとってしっくりこない。納得できない。やはりだめだ、と思った。見た方もおられたのかもしれないが、削除してしまった。
僕はどうしたいのか?
禅問答のような世界。自分に問う、そんな時間。
でも僕はそんな時間がとても貴重だと思っている。
自分の為に時間を使う、費やす、ということ。
そしてそこで起きるすべての現象を他人事と思わず、「自分」が受け止める、ということ。
そういうことがらをひとつひとつ通過する(消化試合ではなく、気の済むまで思考を止めないという意味)ことが貴重だと。
僕がお寺の座禅会に参加しはじめたのも、そのあたりにある。のかなぁと思う。
自分でもよくわからないことがあるけれど、それはわからないままにしておく。
知りたければ知る要求を自分がするし、そうじゃなければしない。
それはだれでもない「自分」がいちばんよく知っているのではないのか、と。
そして改めて自分に問う
僕はなにがしたいんだろう?
自分が感じていることを表現したい。
でも実際は完璧に自分自身を表現することはできないから
せめてそこに近ずけるように今自分がいちばんしたい事柄を表現する。
そんな感じだろうか。
だとするならば、
こんなもんでいいや、と思って事柄を発信していると、
本当に自分が思う自分のことを、正しく理解してもらえない、
という現象がおきてくるのではないか。
僕が冒頭に書いたことはまさにこのあたりなのです。
Trackback(0) Comments(2) by Dan_Suzuki|2008-04-02 16:04
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