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[The Journey of Life] 記事数:7

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今、思考の旅にでています

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しばらくのあいだ、何を書けばいいのか、本当に思いつかなかった。
考えていることは日々たくさんあっても、それを書きたくない、
と感じることがある。

書ける事柄があっても、それを消化試合みたいな感覚で書きたくはない。
かと言って、書くぞ!みたいな作家のホテルに缶詰めみたいな感じなんてもっと嫌だと思う。

こういうときはじっと待つしかないのだ、と勝手に思いながら、今も書いている。

実はすこし前の日に記事はアップしたのだけれど、どうもそれが自分にとってしっくりこない。納得できない。やはりだめだ、と思った。見た方もおられたのかもしれないが、削除してしまった。

僕はどうしたいのか?

禅問答のような世界。自分に問う、そんな時間。

でも僕はそんな時間がとても貴重だと思っている。

自分の為に時間を使う、費やす、ということ。

そしてそこで起きるすべての現象を他人事と思わず、「自分」が受け止める、ということ。

そういうことがらをひとつひとつ通過する(消化試合ではなく、気の済むまで思考を止めないという意味)ことが貴重だと。

僕がお寺の座禅会に参加しはじめたのも、そのあたりにある。のかなぁと思う。

自分でもよくわからないことがあるけれど、それはわからないままにしておく。

知りたければ知る要求を自分がするし、そうじゃなければしない。

それはだれでもない「自分」がいちばんよく知っているのではないのか、と。

そして改めて自分に問う

僕はなにがしたいんだろう?

自分が感じていることを表現したい。

でも実際は完璧に自分自身を表現することはできないから
せめてそこに近ずけるように今自分がいちばんしたい事柄を表現する。

そんな感じだろうか。

だとするならば、
こんなもんでいいや、と思って事柄を発信していると、
本当に自分が思う自分のことを、正しく理解してもらえない、
という現象がおきてくるのではないか。

僕が冒頭に書いたことはまさにこのあたりなのです。

Trackback(0) Comments(2) by Dan_Suzuki|2008-04-02 16:04

▽コメント▽
Commented by かたつむり 04/02 18:26

僕は自分の気持ちやいいたいことを言葉に出して表現することが下手(いわゆる口ベタ)だと自分では思うのだけど、果たして本当にそうなのかと自問することがあります。
心のどこかで理解してもらえなくてもいいという卑屈な気持ちがあるのではいか。本当はわかってほしいという気持ちが足りないだけではないか。ただ単になまけ、ごまかしているだけではないか、と。
先日しばしアップされてた記事も拝見しました。その分、今回の記事には重みと思慮深さを感じますし、だからこそ伝わる事も多いと思います。前の記事も読んでよかった。自分の表現することに妥協しない姿勢、戒めになりました。

Commented by dan 04/04 01:47

コメントありがとうございます。
かと言ってそれほど深刻にならない部分もあったりもします。(決してあまのじゃくなのではないのです)
まぁそのあたりはその人の持つエネルギーなのかな、と。
「神がかる」「神々しい」人がそんな状態の時って思わず黙ってしまいます。
まぁバランスなのでしょうか。
感謝です。

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