連日放送される、オリンピックを楽しみにしています。
本を読んだり映画を観て泣くことはあっても、
スポーツ番組で泣くことはありませんでした。
けれど、今回のオリンピックは、感動です。
それは私だけではないはずです。
選手の活躍に注目して、熱く応援するのは、
競技や演技そのものの出来や勝敗のみだけでなく、
選手の今までの見えない努力を、
オリンピックという「一瞬の舞台」の中にみるからだと思います。
そもそも。
自分が積み上げてきたものが日の目をみることなんて、そうそうないのですよね。
子供のころはそんなこと考えもしないけれど、
(考える必要もないけれど)、
それが、だんだん年を重ねてきて、頑張ることが虚しく感じてしまうのです。
けれど、頑張っても結果が出ないことは虚しいことなんかじゃない!
そういう勇気が出てきました。
フィギュアの髙橋選手のケガからの復帰。そして本番での素晴らしい演技。
美しい演技を完成させるまでの精神力ははかり知れません。
スピードスケートの長島選手の「転んでもいいから」という気持ちで臨んだ500メートル。
「手に汗にぎる」という言葉は、こういう場のためにあるのだと思います。
応援しながら、選手の生き方、アスリートの精神論など、自分自身に投影させていました。
私自身昨年は、インテリアコーディネーター試験に落ちるなど、挫折を経験しました。
頑張れば、道は開ける!そう信じて頑張ってきたけれど、頑張っても手が届かないこともあるのだと、自分の努力不足を嘆いたり、どうしてもっと頑張れなかったのかと後悔する毎日でした。
インテリアの資格がなくても、お片付けの仕事はできるのではないか。
そう言ってくれた人もいます。
弱気になって「そうかもね。そうだよね。」と思ったりもしました。
しかし、勉強しているときはつらかったけれど、新しい知識を得たり、
勉強していることが、即、仕事の中で「あぁ、この前テキストに書いてあったことはこういうことだったんだ!」と実感することができ、
つらかったけれど、新鮮で、楽しい作業でした。
何より、あの時は、時間を作り、がんばることが楽しかったのです。
オリンピックを観ていて、その時の感覚を思い出しました。
その時の自分の気持ちと重ねて、より感動してしまったのです。
今だから…の話ですが、試験が終わり、家に帰り、ご飯を食べてお風呂に入り、ふっと落ちついた瞬間、気が緩んだのでしょうか気がついたら、泣きじゃくっていました。
子供も眠っていたので、声に出して泣いていました。
泣きたいわけでもないし、悲しいわけでもなかったけれど、「わーん、わーん」と転んだ子供みたいに泣いていました。
結果よりも、まず、あの勉強の毎日から解放されたという安堵。
もうこんな苦しい思いはしたくない!という安堵。
(結果的に、また受験することになりましたが)。
それでも、がんばることが(苦しいけど)楽しいと思えました。
何より、がんばれる自分の人生でいられることがありがたい、と思えるのは幸せなことだと今は思っています。
オリンピックはまだまだ楽しみ。
テレビにかじりつくことはないけれど、自分のことのように応援する毎日です。
NHKバンクーバーオリンピック公式HP
http://www9.nhk.or.jp/olympic2/
Trackback(0) Comments(5) by つき|2010-02-21 07:07
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