ご利用規約プライバシーポリシー運営会社お問い合わせサイトマップRSS

[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

< 次の記事 | 前の記事 >

4畳半

このエントリーをはてなブックマークに追加

東京で初めて暮らしたアパートが4畳半だった。
新井薬師の駅の近くで、1階は大家さんがすんでおり、
2階に5部屋。
その一番恥の東南角部屋が私だった。
洗濯機とトイレが共同で、お風呂はドラム缶程度の大きさのものが各部屋についていた。
4畳半といってもフローリング。
小さなガスストーブですぐに温まった。
冷房はなかったが、子供のころから家には冷房がなかったので、
それほど不自由しなかった。

一番ありがたかったのは、天袋の付いた大きな押し入れで
まだまだ荷物の少ない私ではあったが、
芝居をやるたびに荷物が増え
それをどんどん入れることができた。
屋根の上にがあることができたので
布団をほしたり、こっそりプランター菜園をして
いんげんやバジルを育てていた。
日当たり良好。

何も持っていなかった私に、劇団の先輩がテレビとカーペットをくれて、
大きなちゃぶ台を、舞台監督さんが作ってくれた。
色は自分で濡れといわれたので、
水色とこげ茶のペンキを買ってきた。
「なんじゃ、その色合いは!?」といわれたが、
私はこの組み合わせが大好きなのだ。

劇団主宰を始めてからは、
この狭い空間にチラシ3万枚がはこばれてしまったりして
チラシの上にいろいろなものを置いていた。

ここになんと9年。
45000円の家賃は一度も上がらなかった。

引っ越しのきっかけは
「ここに10年は、やばい!」という気持ちと、
大きなデスクトップのパソコンを買ってしまったことだった。
ちゃぶ台の上が、パソコンだけになってしまった。
生活の空間が必要になった。

その、懐かしい4畳半のアパートの近くを通りかかったので、
いってみた。

なかった。

代わりにちいさいマンションが建っていた。
目の前の小学校は相変わらず。

少し前の小説を読んでいると、
よく4畳半のアパートがでてくる。
当たり前の若者の住まいだったけど、
いまはあまりないサイズかも。
1ルーム、フローリングで「畳に換算すると5.5畳です」なんて言われることがあるけれど
「4畳半」という言葉のようなイメージはわかない。

生活も心も、コチコチに真四角だった。
あの部屋は、貧乏ながら、私のとっておきの思い出。

~本日のありがとう~
焼酎2本もいただいてしもうた。
うれしい。
飲みすぎ注意!
ありがとうございました。

Trackback(0) Comments(4) by 鯨エマ|2012-01-28 12:12

▽コメント▽
Commented by yasumine 01/28 14:38

四畳半に反応しました。
9年ですか!
立派です・・・。
僕も6年間「四畳半」でした。
さすがに、2年前行った時には
(エマさん映画/東中野)
もうありませんでした。
小さな宇宙でした・・・。
でも、壮大なドラマがありました。

これからは、四畳半という響きに
反応する方は少なくなると思いますね。

Commented by うさぽん 01/28 16:30

4畳半、昔は広く感じましたよ
親子4人小学生低学年まですんでいました
洋服ダンス、整理ダンス、茶箪笥、テレビ、足踏みミシン、勿論ちゃぶ台も有りました

広かったなぁ だって伯父さんも泊まっていっていましたから

今では考えられない

私の部屋は、独りで10畳ですから

世の中、目線も生活スタイルも変わりました

あの頃は、父が友達と飲んで居る側で寝入っていました
それが、幸せでした
何も、惨めになど思いもしませんでしたから

貧富の差も感じないし、『テレビ見せて』 と遊びに行ったり、一緒におにぎりを作って、おやつにしていました
広場は限りなく広くて虫も、トカゲ、捨て犬、捨て猫、遊ぶ事には不自由しませんでした
良き時代でした

Commented by ema 01/29 12:26

yasumineさま
小さな宇宙まさにそうですね。
引っ越したばかりの時は
自分だけの空間が本当にうれしまったし、心地よかったです。

Commented by ema 01/29 12:28

うさぽん様
4畳半に親子で4人プラス伯父さん・・・というのにびっくりしましたが、いま、10畳以上の部屋というのにもびっくり!

野良犬が昔は結構いましたよね。いまは、猫はいても犬は見ないな・・・・


□この記事のリンク元

[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

< 次の記事 | 前の記事 >

ゆたりブログ



「ゆたり」は時の広告社の登録商標です。
(登録第5290824号)