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「ひとが輝くまちの学校」はゆたり出版の「ゆたり文庫 地方に暮らす。シリーズ02 ひとが輝くまちの学校」に再編集し収録されています。書籍はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。


[地方に暮らす。[ジョウモウ大学編]] 記事数:11

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|第七話|活版印刷のある街 技術を守るということ 前編

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 最後にご紹介する授業は、2年前の震災と関係のある授業です。教室は、現役で活版印刷を行う高崎市にある印刷会社です。地震の揺れで何万という活字が落下してしまい、廃止か存続かを選択する状況にありました。
 授業テーマはその活字を復旧すること。2012年1月にスタートし、1年余の作業を経て遂に完了目前というところまでやってきました。
 広栄社印刷所の代表取締役・江原正弘さん、共同で授業をコーディネートされているジョウモウ大学の佐藤正幸さん、殿岡渉さんに、授業開始当時のことを振り返っていただきながら、活版印刷の魅力、これからの活動についてお聞きしました。




消えかけた活版印刷の灯

佐藤:私は職業柄、活版印刷に興味があって、群馬で印刷できるところを探していたんです。探してみたら数件存在したのですが、実際見に行ってみると、設備はそっくり残っていても、仕事はもう受けていないところばかりで。
広栄社さんはジョウモウ大学のスタッフでもあるデザイナーの荻原君が見つけてくれました。
活版印刷機で自分のDMを刷らせてもらったんですが、本当に面白くて。これを学生さんに体験してもらったらいい授業になると思って、江原さんと話を進めていたんですが、そこへあの震災が起きたんです。江原さんから連絡をもらって、みんなと来てみたら、もぉ…ぐちゃぐちゃでしたね。


 活版印刷は文字や記号を刻んだ鉛合金製の「活字」を使う印刷技術です。通常、活字は「ウマ」といわれる活字棚に収められています。印刷する文字を人の手で棚から一字一字、探し出すため、作業の効率上あえて扉などはつけられていません。ただその分揺れには弱く、地震の際、落下してしまう不安を常に抱えています。
 15世紀にドイツで発明され、日本では明治以降活躍してきた活版印刷ですが、印刷技術の発達にともない、ここ数十年で印刷の表舞台から姿を消していきました。
 広栄社印刷所(以下広栄社)のように印刷会社として現役で活版印刷機を稼働させているところは、全国的にもかなり珍しい存在です。
 広栄社では以前にも地震で活字が落下したことがあるそうですが、その際は被害も小さく、ベテランの職人さんのおかげで1週間ほどで復旧できたそうです。しかし2011年の震災では、高崎は震度5強に襲われます。比較にならない被害の大きさに、江原さんは、続けていくことを諦めようとも考えたと話してくれました。


江原:見た時はもう唖然としました。活字棚を動かすレールの溝に、山のように活字が落ちていました。とにかく片付けようと思いましたが、活字は一度にたくさん掴めないのでポロポロとしか持てないんです。だから取り出すのは本当にひと苦労で…やり始めてみたものの、全くらちがあかないという感じでした。
うちはオフセット印刷と活版印刷を行っているのですが、活版印刷については、震災の前から今後も続けていくかどうするか、考えてはいたんです。ただ多くはないですがお客さんがいますので、迷っていたんですよね。
でも震災でこういう状況になってしまったので、真剣に処分を考えて先輩方に話したんです。そうしたら、「いや、絶対残した方がいい」とアドバイスされまして。そういうなかで、授業のお話があったんです。





インターネットを駆け巡ったエール

 活字をもとの場所に戻す復旧作業。それ自体をジョウモウ大学で授業化するアイディアは、佐藤さんや殿岡さんたち有志が広栄社に集まり、実際に作業を続けるなかで生まれました。ただ、江原さんも驚いたそうですが、いわゆる一般的な「授業」の枠からは外れる印象も。自由な授業スタイルがジョウモウ大学の特徴ですが、それでもやはり、ミーティングの際には学生さんの反応を心配する声があったといいます。
 そして2011年12月。授業化が決まりジョウモウ大学のHPに情報がアップされると、思いもよらない事が起こりました。Twitterのタイムラインで、授業のことがすごい勢いで拡散されていったのだそうです。検索してみると、中心となっていたのは印刷やデザインに関わる人たちでした。「ジョウモウ大学の活動、スバラシイです!」そうした活動に共感し応援する声が、地域の枠を飛び越え、インターネットの世界を駆け巡っていました。


佐藤:当時、被災地へ行って手伝いたいと思っていても、いろいろ事情があって難しいという人がたくさんいたんだと思います。実際に自分で手を動かして復旧を手伝える。地元でも震災のボランティアができる。そういうことで応募してくれた人がたくさんいました。
それから、この授業は現役で活版印刷を行う「現場」に触れられる貴重な機会でもあるんですよね。だから最初の授業のときは、いろんな想いを持った人が集まるきっかけになったんですよ。震災のボランティアをしたい人、それからデザイン好き、文字好き、本好き、活字好き、印刷好き。いろんな人がワッと集まったんです。あれはすごく良かったですよね。





活動はさらに広がり

 授業への申し込みは定員数を超え、当日参加した学生さんのなかには、遠方から新幹線に乗って高崎を訪れた人もいたそうです。こうした周りから自然と沸き上がった大きなエールは、ジョウモウ大学にとって初めてとなる動きをもたらしました。
ひとつは授業のシリーズ化です。通常授業は1回で完結しますが、この授業は初めてシリーズ化され、季節毎に開講しながら、これまで5回行われてきました。そしてもうひとつは、授業という枠を飛び越えた拡がり。復旧作業の中心的存在となる「活字部」が誕生したのです。


佐藤:授業だと抽選なので、せっかく応募してくれたのに、はずれてしまう人がいて残念なんですよね。部活なら何人来ても大丈夫なので、この日に来られる人はみんな来て!という感じで気軽に参加してもらえますから。それと、大学なので、授業をきっかけにサークル的な集まりが生まれることも、もともと理想としていたことではあったんです。


 活字部で活動するのは20代から30代の社会人が中心です。ほぼ月に1回、広栄社に集まり、江原さんと高校生の息子さんも加わって作業してきました。
頑張りすぎない、ゆるく、楽しく、がこの部活のモットー。
ひたすら小さな活字と向き合う根気のいる作業、にもかかわらず、印刷所はいつも賑やか。部員のみなさんの明るい話し声が響きます。スタートした時からずっと続けている人や、今年から新たに参加した人もいます。活動を知り、集まったたくさんの人たちの手が、この長い復旧作業を支えてきました。
そしてこの夏、遂に作業は完了しようとしています。


殿岡:最初はとにかく活字の山がただバッと存在している状況でした。佐藤さんも僕もデザイナーなので、活版印刷のことは知識としては知っていましたが、実際に触ったりするのは初めてでしたから、どうやって戻していくか、初めの頃は本当に手探りでしたね。
以前は、棚に活字を戻す作業には、もっと時間がかかるだろうと思っていたんです。部活はほぼ1ヶ月空くので、僕もですが、せっかく場所を覚えても忘れてしまったりするんですよね。でも江原さんの息子さんはほぼ覚えてしまったみたいで、かなりのスピードで戻してくれました。
部活は必ず毎月できたわけではないんですが、それでも、毎回10人くらいの人が参加して、一緒に作業をしてくださったおかげで、考えていたよりもだいぶ早く復旧することができました。


第八話へ続きます。


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