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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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式内社佐志能神社へ参る

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常陸国総社宮に参拝し石岡市内を歩いたあと、近くの式内社へ行くことにした。北西に筑波山の眺めを楽しみながら、国道355号を北上する。
向かうのは龍神山の麓にあるふたつの神社。龍神山はその南中腹を砕石場でぱっくりと削り取られ、暴力的な光景を見せつけている(もともと双耳峰で、中央の鞍部を採石して現在の姿になったようだ)。常磐道から見て何だあれは…といつも思っていたのだけど、その異様な山の正体をこの日ようやっと突き止めたわけだ。

筑波山を望む。沿道に連なって咲くつつじが綺麗。

  
  
その龍神山の東麓と南麓に位置するふたつの神社はともに「佐志能(さしの)神社」といい、もともとは龍神山頂にひとつの神社としてあったそうだ。資料を見ると、村上村にあったのだが、分村があったときにふたつに分かれたとあるので、おそらく山頂の神社を南麓に移して祀っていたのだが、この地が分村によって村上から染谷に変わったので、村上側にも同じく佐志能神社を建てよう。ということになったのだろう。
創建年代は双方とも不明だが式内社なので、相当古いことは間違いない。村上佐志能神社は闇?(雨かんむりに龍)神(くらおかみのかみ)を祀り、「雄龍」の社とされる。染谷佐志能神社は高?神(たかおかみのかみ)を祀り、「雌龍」の社とされる。一対の神社としてともに龍神を祀り、雨の神として農耕や雨乞いに広く信仰を集めたそうだ。

 
まず村上佐志能神社へ向かう。国道355号から地方道7号へと左折し1.5kmほど直進すると「龍神山入口」の信号があるので、そこから数百メートルさらに直進して一車線分ほどの細い道を左へ入る。密集する民家のあいだの細い路地を中へ進んでいくと、民家の最奥そして龍神山の麓に神社が見えてくる。



林に囲まれて境内は暗い。質素な社殿に参拝を済ませあたりを観察すると、鳥居が山の斜面を上がっていく道へと導いている。

この道が龍神山(たぶん双耳峰の北峰、高いほう)山頂へと至る道なのだろうか。少し上がってみると、まるで太古の森に入り込んだかのように、年月を重ねたであろう木々がまさに林立していた。


 
さらに上がると広場に出てしまい、上への道は獣道のように心もとなくなっていたので、諦めて引き返す。

広場にはこんなものが。まさか本物じゃないよね…と後ずさり

 
つづいて、先ほど通り過ぎた龍神山入口の信号を右へ曲がり、龍神山を右に見つつ適当に道を右へ入る。右手に龍神山霊園への細めの道が見えてくるので、右折。ここまでで3回右折しました。(山の南にある風土記の丘から、北に参道が伸びているらしい。)
霊園入口の道脇スペースに、車が停まっている。シートが倒れている。
そのまま直進すると突き当たりに見えてくるのが染谷佐志能神社。
山の中でさびれた印象がとても良く、さびしい。車はさらに上がっていけそうだけど、かなり急な坂道。さらに石段を上がった崖の上に、社殿が鎮座している。
本殿左手には屏風岩があり、風神の穴と呼ばれる穴があるらしく、この穴に指を入れると、雷鳴がなるまで抜けなくなってしまうという伝説があるそうだ。また、夏になるとここから雲がわき起こって雷神が現れ、雨を降らせるという。まさに雨の神としての面目躍如である。毎年4月19日には例祭があり、常陸国総社宮にて行われる「染谷十二座神楽」は400年の歴史があるという(そう言えば佐志能神社はうちで管理しています、と美人の巫女さんが仰っていたな)。
  
  
木々の緑は鮮やかで、陽射しはあたたかい。むしろ暑いくらいだけれど、窓を開け放てば風が心地よい。ドライヴするには今が一番良いときかもしれない。好きな音楽をかけて走る。
霊園入口まで戻ると、さっき停まっていた車から若いカップルが下りて風に当たっていた。お前ら~何も霊園の前で!と思いつつ、風を切り、光を浴び、光にさらされた世界を見る。この敬虔さにも似た紅蓮の如き嫉妬。彼らが味わう休日の午後の生ぬるい青春と、ぼくの頬と腕にじりじり照りつける光。まるで焼けつくようだ。できることなら全部灰にしてもらいたいものだが、ぼくらは時間を過ぎていけばいくほど、言葉を少しずつ失っていく。そしてそれらは灰にすらならず、ただ心の底に少しずつ少しずつ積もっていくだけだ。まるで神社の石段に積み重なった落ち葉のように。それらも何もかも、少しずつすべてが風化していき、いつか永遠に失われてしまう。永遠に続くように思われたこの生ぬるい日々も。
  
  
そんな泣き言を言えど、時の風化を(今のところ)免れている古き式内社たちが数々の記憶(の断片)を漂わせつつ、野に山に町にその姿をとどめているのだった。何も言わずに。
 
まあいいさ。まだしばらくは、雨は遠いそらの上だ。  
  
  
  
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グレイプバインの「そら」が無いので「エレウテリア」と「スカイライン」。
 

いつまでもこうして眺めているさ 嬉しいやら哀しいやら
 

もういくつ寝ると夏だぜ。砂舞い上げて走るぜ
  

» Tags:神社, 式内社, グレイプバイン,

Trackback(0) Comments(4) by 雨|2010-05-19 03:03

▽コメント▽
Commented by yasumine 05/19 19:10

ピストル???
ほ・ほんもの?・・・・。

Grapevineは2000年はじめに発売された
Circulatorというアルバムが好きで
時々「風待ち」って曲を歌ってました。
この曲、泣けちゃうんだな・・・。

Commented by 雨 05/19 20:57

yasumineさん、またもコメントありがとうございます。
ピストルは…確認できませんでした。手にしたりなんかしたら背後から撃たれんじゃねえかと思って笑。
ボディがプラスチックっぼかったんで、プラスチックのピストルじゃ持ってるほうが危ない気もしますが…
 
グレイプバインは、ヘヴィーなロック(ぼくはロックとしてではなくR&Bのグルーヴとして聴いているんですが)もやりますが、歌モノも得意なんですよね~。シングルだと「風待ち」「会いにいく」「ぼくらなら」などでしょうか。泣けますよね~。
Circuratorからもう10年かぁ…信じられないな。

Commented by たかこ 05/22 13:52

雨くん
調子いいですよねぇ
その調子のお裾分けがほしい今日このごろです。
なにか
「お告げ」とか
「きっかけ」とか
「恋の胸騒ぎ」とか
「余命3ヶ月」とか

心境の変化?あったんですね
なんか羨ましい

Commented by 雨 05/22 23:13

たかこさん
 
調子いいというか、調子に乗ってろくでもないことをまくし立てているような気もするのですが…(^_^;)
 
心境が変わったよ俺…と思ってもたとえば次の朝目が覚めても何も変わってなくて、現実の現実ぶりにがっかりするものですよね。
心境はゆっくりとしか変わっていかず(恋のから騒ぎとか、革命3ヶ月といった短期的なものもありますが)、
多くの場合変わってからしか気づけないのではないかと思っています。
というわけで、ぼくはこの数年間、殆ど心境が変わったことはありません笑。低値安定で笑。
 
去年の秋から4月くらいまでは殆どどこへも出かけず、気分もふさいだままでしたが、5月になって突然神社巡りを再開しました。飽きっぽくて熱しやすいんで、またやりたくなり出したんでしょう。
心のバイオリズムというか、塞翁が馬というか、そう思って、無理しないようにしています(とか言って言い訳して布団に横臥して酒を飲むわけです笑)。
とか言いながら、神社巡りをした後で、やあ楽しいないい調子だ、とか思っていると、西日の影や、若い女の子たちを見て、深い憂鬱が眉間にのしかかるのです。
  

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